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第 2 回 古今亭志ん朝 落語の世界に見る『 生き方の美学 』

2016.06.16

 私が育ったのは東京・池袋の西口で、1956年5歳の時、両親の店の移転で引っ越してきました。
その頃まだ駅前には、森田組マーケットと呼ばれた『 闇市 』がかなりの広さ残っていて、両親からは「 危ないから、決して行ってはいけない 」と厳しく言われていました。しかしそう言われると行ってみたくなるのが子供心で、毎日、入り浸っていたものです。
 
 両親は商売に明け暮れ幼い私に目が届かない為、近所の、背中に凄い絵の描いてあるお兄さん達が、私を不憫だと言って面倒を見てくれていました。
今思えば随分、教育委員会が目くじらを立てる様な子供時代だった訳です。しかし乍らそのお兄さん達は私に食事をさせてくれ、銭湯で背中を流してくれ、映画を観せに連れて行ってくれと、それはそれは良くしてくれました。後にその理由の一つは両親が、どんな人にも分け隔てなく接していたことにあると知りました。

 そうした街の中に『 池袋演芸場 』が在り、当代の噺家さん達が両親の店に、食事をしに来てくれていました。噺家さん達は何か面白いことを言っているらしく、大人達は声を上げ笑い転げていました。
 テレビ・ラジオでも落語の放送が有り、私も観聴きしてはいました。しかし高校生くらいまで、落語とは単なるお笑い芸という、そんな程度の認識しかありませんでした。
 しばらくすると落語には、滑稽噺以外に人情噺・芝居噺・名人噺等も有ることが解かってきました。しかし私にとって落語は、単なる娯楽の一つに過ぎませんでした。

 ところが1970年偶然に観たTBSのTV番組≪ 落語特選会 ≫( 国立劇場・落語研究会の録画放送 )で、六代目三遊亭圓生さんの『 中村仲蔵 』に衝撃を受け、以後は毎回、放送を待ち焦がれるようになります。
この噺は18世紀、家柄だけが物を言う歌舞伎界で、サラブレッドではない役者が逆境を乗り切り、歴史に名を残す大看板に登り詰める噺です。大変示唆に富む実話を素に創られましたが圓生さんの演出は、職業人の鑑・仲蔵の、究極の精進を極めて見事に描写しています。
 噺のこしらえ、人物描写、芝居考証など、何もかも圓生さんが断トツで、他の噺家さんの追随を許しません。仲蔵の人生模様と圓生さんの脅威の芸域が、聴く私達を歌舞伎舞台にまで引きずり込みます。
 ソニーミュージックから極め付きのCD『 圓生百席 』が出ていますが、YouTubeでも簡便に、その音源をお楽しみいただけます。是非一度、お聴きいただきたく思います。

 その後また同番組で、圓生さんの『 唐茄子屋政談 』に再び打ちのめされ、益々落語にハマり込んでゆきました。この噺は道楽が過ぎ勘当された大家の若旦那が、伯父に諭されカボチャ売りをすることで始まる人情噺です。若旦那はせっかくの売上を、なけなしのお金でカボチャを一つやっと買ってくれた気の毒な母子に、逆に全部やってしまいます。これが騒動の発端ですが、噺には究極の悲哀も描かれていて、圓生さんの演出と情景表現に、声を上げて泣かずにはいられません。
 これも当時、色々な噺家さんを聴き比べました。しかし圓生さんに勝る方は無く、以後何年もの間、六代目三遊亭圓生を『 さん 』付けではなく、『 圓生師匠 』としか呼べなくなってしまいました。
これも有難いことに、YouTubeで映像を観ることができます。しかしながら演出と人物描写の完成度は、ソニーから発売されている『 圓生百席 』の方が数段上です。但しこちらは残念なことに、YouTubeには今のところアップされていません。

 落語には、『 牡丹灯籠 ( ぼたんどうろう ) 』や『 真景累ヶ淵 ( しんけいかさねがふち ) 』といったおどろおどろしい怪談噺も有ります。しかし登場人物の大方は、殺されたりしません。
それに弱きを助け強きをくじくのが定番で、侍も町人もなく人間みな平等と権威は否定し、反骨精神にも富んでいます。また、出てくるどうしようもない男達や小悪党にさえ優しい目差しが注がれていて、何かこう、原作者は親鸞聖人なんじゃないかと思わせるような、そんな噺が随分と有ります。
立川談志さんが『 落語とは、人間の業の肯定である 』という言葉を遺していますが、実に言い得て妙だと思います。
 とは言うものの大悪党には容赦が無く、聴く私達に大いなる正義感を起こさせます。

 落語世界の素晴らしさは他にも数多有り、語り尽くすことができません。そしてその最たるものは、『 世の中は、こんなだったらイイのにナ~ 』との想いに満ち満ちているところだと思うのです。
 私が一番好きな登場人物は『 抜け雀 』に出てくる宿屋の主人で、抱きしめたい程のお人好しです。人を疑うことができず、一文無しばかりを泊まらせてしまい、いつも女房に叱られています。
しかし最後は、人を疑えない性分が幸いして大金持ちになるという、『 抜け雀 』とは正直者が馬鹿を見ない噺です。
 私の様な人間では、人生を百回やってもあんな心根にはなれません。
だからこそ、自分には無いキャラクターにひかれるのだと、そう自己分析しています。

 その『 ひかれる 』ということでは私の生活の中で、常に意識していた噺が二つ有ります。
その二演目に限れば圓生さんさえ、しゃっちょこ立ちしても敵わない噺家さんがおられました。
 色々な方のお話を伺うと、あの方は涙が出るほどの、立派な『 イイ男 』であったそうですナ~。( ちょっとあの方の口調になってしまいました )

 ここで話が、また横へ飛びます。申し訳ありません。

 私の最も好きな歌手の一人はエディット・ピアフなのですが、なぜピアフに魅せられるかと言うと、彼女が自分の人生体験から得た、偽りのない心の奥底を歌っていたからです。
 
 普通では想像できない子供時代。16歳での初めての恋と2歳で死んだ娘。病気。取り巻きの不良達と麻薬。事故。最初に彼女の偉大な才能を見出した男は殺されその容疑者として受けた取り調べ。大成功の数々とスキャンダルの連続。沢山の恋人。称賛されることも後悔の種も山ほど。マルセル・セルダンとの至上の愛。そして彼の飛行機事故死、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
 幾つもの新しい恋。栄光。結婚と離婚。そしてまた結婚。早すぎる死。
 
 彼女は声が酷く、見栄えしない容姿と変なヴィブラートで歌っていました。
にも拘らず並の歌手が『 人生 』を歌っても嘘臭いのに、エディットが歌うと凡庸な歌さえ魂の響きに変わり、私達の心の琴線を震わせます。
彼女の歌唱が聴く者の胸を衝くのは、彼女が歌で、『 自身の心の物語を嘘偽りなく語っていた 』からなのです。

 少し寄り道をしましたがあの方、三代目古今亭志ん朝さんが『 井戸の茶碗 』と『 柳田格之進 』を演じていると、エディットの歌唱と全く同じことが起きていました。
 つまり志ん朝さんの心性・人生観が、『 井戸の茶碗 』と『 柳田格之進 』を構成する人物の心境と二重写しとなり、噺の底から滲み出ていたのです。
『 柳田格之進 』には演目と同じ名前の武士。そして『 井戸の茶碗 』には①くず屋さんの、人呼んで「 正直清兵衛 」②千代田卜斉( ぼくさい ) ③高木佐久左衛門という三人の主人公が出てきます。
以上四人が揃って同じ精神世界、今や死語かも知れない『 赤心 』の持ち主で、誰も彼もが度を越えて美しい傑物なのです。

 どんな仕事でも、そこにはその人の内面が出るものです。しかし一人芝居の落語ほど、その全人格が裸にむかれ、人前に無残にさらされる職業は有りません。
従って私程度の人間が、例え志ん朝さん並の技巧を駆使してこの四人を演じ得たとしても、心にもないことは直ぐ露呈してしまいます。

 志ん朝さんは名人古今亭志ん生さんの子息ながら、高校時代は外交官志望で、後に歌舞伎役者になる夢を抱いた時期も有りました。しかし志ん生さんに強く説得され噺家として精進を始めると、あっという間に頭角を現し、程なく世間の称賛を集め、遂には実力・人気共に頂点を極めます。
 
 ただ若い時分は高級外車を乗り回し、豪邸を建てたりもした為、周囲からの非難や風当たりもかなりのものがありました。拳銃不法所持で、警察の取り調べを受けたことも有りました。
 その反面、願掛けの為に好きな酒を断ったり、大好物の鰻を生涯口にしなかったりと、噺家さんには稀な程、ストイックな一面も持ち合わせていました。しかしそのような気質も、骨身を削る芸との格闘を、終生続ける原動力になったと推察します。
 
 また若い頃から志ん朝さんは、テレビに舞台に映画にと、八面六臂の大活躍もなさっていました。
そのお陰で様々な方達から芸だけでなく、『 生き方 』に対する感化・教化も受け続けたのです。
 エディットは奔放に生き、そのまま死んでゆきました。
片や志ん朝さんは師と仰ぐ方々の声に耳を傾け、物事と真摯に向き合う生き方を、生涯貫くようになります。その結果、最高峰の話芸の達人が、同時に情に厚く高潔でもあるという、希代の人物が顕われることになったのです。
 志ん朝さんは、決してご自分を語ることのない人物でした。しかし沢山の方々が、恩徳溢れるお人柄と生涯を証言しています。私もその品性に度々接し、大いに感服していた一人です。

 『 井戸の茶碗 』と『 柳田格之進 』は、志ん朝さんの為に創られたかのような噺です。
粗筋や、エッセンスだけでもお伝えしたいのですが、かなりの字数を要します。
両演目ともYouTubeにアップされていますので、お時間の有る時、是非ご覧いただきたく思います。
志ん朝さんの手に掛かり、世知辛い世の中とは真逆の、言わば『 人の道の理想型 』を絵に描いた様に仕上げられています。因みにどちらも、TBS放映≪ 落語特選会 ≫( 国立劇場・落語研究会 )の映像が、絶品中の絶品です。

 事業では、収益を挙げスタッフも雇用しなければならない為、どうしても意地汚くなりがちです。
勿論『 抜け雀 』の、宿屋の主人の様では店が潰れます。決して、あの様にしてはいけません。
しかし事業と言えど、凛としたところが無ければいけませんし、インチキがばれてひっくり返りそうになった企業の例も有ります。
私なども意地汚い人間ですから、志ん朝さんの『 井戸の茶碗 』と『 柳田格之進 』の映像を、自分を更生させる為の治療薬だと考え再々観ていました。

 さて私達が出かけると、そこかしこで『 いらっしゃいませ 』『 有難うございました 』『 またどうぞお越しくださいませ 』などの言葉を耳にします。
しかしその中のどれ程が、真実・誠の心の声でしょうか?

 志ん朝さんは語り口や口跡や仕草ばかりでなく、噺を終えた後の幕切れの、客席へのご挨拶までもが『 美しい 』噺家さんでした。
 今でも目を閉じると、『 有難うございました。有難うございました。有難うございました。どうぞお忘れ物ございませんように。有難うございました。有難うございました。有難うございました。有難うございました 』と平身低頭しておっしゃっている、偽りの無い誠から出た声と姿が、私には鮮やかに思い出されます。
 
 私は志ん朝さんの、高座の最後の僅かな時間からさえ、無上の感動を味わっていました。
そこには並々ならぬ善きお人柄と芸に殉じた人生の、全てが凝縮され、光輝が放たれていたからです。

 『 座右の銘 』という言葉が有りますが、語り終えた後の志ん朝さんの一挙手一投足は、私にとって『 座右の姿 』でありました。

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