第 11 回 映画『 生きる 』に見る、黒澤明監督の職業愛
2018.09.29
10月8日から赤坂ACTシアターで、ミュージカル『 生きる 』が20日間にわたり上演されます。
この舞台は、1952年に黒澤監督が打ち立てた金字塔を『 黒澤明没後20年記念 』と銘打ちミュージカル化したもので、世界進出まで目論み企画制作されました。
素の映画は映像が汚く、音楽の演奏も低水準で、表面だけをとると、超一流と言えるものではありませんでした。しかしながら表現された精神性はこの上も無く、観る人の心に生涯忘れ得ぬ感動を刻む、黒沢映画の最高傑作でありました。
主人公の渡辺勘治は『 休まず・遅れず・働かず 』を絵に描いた様な人物で、30年間ただ時間をつぶし、生きたとは言えない役人人生を歩んできた凡俗な市民課長。そんな男が胃癌になり、余命わずかと知ることで死の恐怖に囚われ、一旦は絶望の淵に沈みます。しかし間も無くこのままでは死んでも死に切れないと思い至り、自らが棚上げにした公園建設を、半年間の英雄的奮闘の末に作り上げるのです。そして、回心して人生に目覚めた渡辺勘治は、自らが完成させた公園で、満足して死んでゆきます。
黒澤映画『 生きる 』のヒントは、文豪トルストイ作『 イワン・イリッチの死 』から得ました。
ここには俗人裁判官が不治の病にかかり、日に日に増す心身の苦しみの中、最後の三日間で人生の最も大切なことに気付き、死を迎える様が描かれています。トルストイ自身の体験による、苦悶からの解脱を題材にした短編小説です。
映画の脚本は黒澤明、橋本忍、小国英雄の共同執筆により、人間の尊厳を謳った崇高な物語に仕上りました。そして圧倒的な黒澤明の演出は、登場人物達を通し、観客に『 人間はいかに生きるべきか 』と問い掛けます。
黒澤明という人は、「 映画というのは独特の美しさと、映画ならではの表現が有る訳だよね。映画を作る時にはそれを捕まえたいから、自分に厳しく、長い間夢中になってやってきたわけです。だからスタッフにも俳優さんにも、厳しいかも知れない。しかしそれは当然のことだと思うんですよね。映画はお金を払ってお客は観るんだから、最高のものを観せる責任が有るよね。人間がこういう態度でいるのは当たり前でね、全ての人間がこういう態度でいなけりゃいけないと思うんだ 」と言って、細部の映像に写らない小道具にまでこだわりました。
この完全主義を裏付けるエピソードは、『 七人の侍 』など、他の作品からも明瞭に伝わってきます。
本コラムでは、黒澤明監督が最も大切にした徳目『 職業愛 』について、映画『 生きる 』を通し、少々申し述べさせていただきたいと思います。
飲食店経営のみならず事業における共通原理は、構成員一人一人の意識と努力がパズルの様に一つとなり、全体の雰囲気、社風、成果を作り上げるということです。
黒澤さんはスタッフさんや俳優さんに、「 つまらない仕事でも一生懸命やっていると面白くなる 」と言い続けていました。「 努力だけでは長くは続かず、面白いからこそ努力できるし、努力し続けていると益々面白くなる。そこに好循環が生まれるんだ 」とも、想いを込めて口にしていました。
たとえ立派なスローガンを掲げても、実践する人達が報われなければ、段々モチベーションは下がってゆきます。黒澤さんはこの『 精神的報酬 』を、『 面白い 』と言い換えたのでしょう。
『 生きる 』のクランクイン前、無気力な市職員を演じる田中春男は、自分の役を如何に下卑た人物に見せるか腐心していました。
ある日彼は乗り合わせたバスで、前歯の一本欠けた男が、歯の間からチロチロ舌をのぞかせているのを見付けます。田中春男は『 これだっ!!! 』と膝を打ちました。早速黒澤監督に歯を抜く相談をすると、「 そこまでしなくてもイイヨ 」と止められたそうです。しかし田中は余程思い込みが有ったらしく、本当に歯医者で抜いてしまいました。完成後試写を観た田中は大いに満足し、その後どんどん役作りにのめり込む俳優になってゆきました。
先月惜しくも亡くなった菅井きんさんも、デビュー翌年の若き日、市役所に陳情する主婦役で印象に残る名演を見せています。渡辺勘治が土砂降りの公園を視察するシーンの撮影時、下着までずぶ濡れになった菅井さんが渡辺役の志村喬に、思わず駆け寄り傘を差し掛けるのです。菅井さんの、役に対する感情移入の極みで生じた、格闘する市民課長に傾倒し切ってのハプニングでした。
これを黒澤監督が無意識の名演と、「 菅井さん、よかったよ、よかったよ 」と心からねぎらい誉めたそうです。菅井さんはこの時の感激を、「 涙が出てきて仕方ありませんでした 」と証言しています。
この後、菅井さんは数々の映画やドラマに出演し、日本屈指の名脇役になってゆきます。
また主役を演じた志村喬も、胃癌で余命半年の役になり切り、鬼気迫る演技を残しました。志村喬は映画完成まで役作りの為、私生活でも自分は胃癌なんだと、ずっと自身に言い聞かせていたのです。
志村喬は撮影終了後、本当に胃癌かも知れないと心配になり、病院へ検査をしに行ったそうです。
私は、黒澤監督が誰よりも映画を愛し、更にはこの映画にかける執念が尋常ではなかったからこそ、その想いが俳優さん達に伝わったのだと確信します。出演した誰もが、監督に言われたからではなく、自ら進んで役にのめり込んでいたからです。
主人公は雪の夜、自ら手塩にかけた公園のブランコに揺られながら、突然に吐血し死んでゆきます。
その雪を降らせた小道具係さんは、「 雪の身になり雪の気持ちになって降らせた 」と語っていました
( 公園はスタジオ内のセットで、雪も手作りの人工雪 )。
黒澤さんは役者さんだけでなく、スタッフさんの成長も願っていたそうです。
翻って飲食店経営を考えると、当然ながら経営者は、誰でも事業の成功を想います。
しかし私達は黒澤監督と比較して、どれほど自らの事業に、意義と職業愛を感じているでしょうか?
黒澤明の世界に目を凝らし飲食店経営になぞらえると、『 職業愛 』とはスタッフさんや社員さんに要求するものではなく、経営者や上司つまりリーダーこそが、身をもって示すべき資質だと解ります。
従業員さん達は、言われることや看板としての企業理念ではなく、経営者や店長の『 心の内 』を見据えているものです。リーダーが心の中に本当に思っていることは、その表情や雰囲気からも滲み出てきます。その滲み出た心根こそが、スタッフさん達の心に届くのではないでしょうか。
リーダーが、真にお客さんの幸福感・満足感を目指していることを知れば、スタッフさん達は必ず、良い仕事をしてくれるようになります。ましてやスタッフさんの幸福や成長を願っていれば尚更です。
日本フードサービス協会が今年8月公表した外食産業市場動向調査によると、種々要因で事業環境は厳しさを増しているものの、国内売上高は24カ月連続で前年実績を上回りました。
しかしながら来年10月の消費税増税、東京オリンピック後の景気減速、生産年齢人口減少や少子高齢化による社会構造の変化等により、外食産業にも強い向かい風が吹く時代がやってきます。
またインバウンド消費に後押しされる外食産業ですが、為替や世界経済の、変調からの影響も避けられません。
黒澤さんはご自身の道徳感情として、『 仕事に愛情を注げば楽しくなり、愛情のこもった仕事は、人の幸せにつながる 』との信念を持ち続けました。黒澤監督が数々の名作を世に残せた秘密は、この徳目、『 職業愛 』に有りました。
私も黒澤明監督に倣い自らの職業愛を深化させることで、来たるべき不確実性の時代に備えようと思います。